徳川家康といえば、天下を統一して藩や鎖国をなどの制度を敷き日本の江戸時代のかたちを作った人ですね。日本を代表する偉人の一人だと思います。
そんな徳川家康さんと囲碁ってどんなつながりがあるのでしょうか。囲碁にまつわる、まさかの偉業をご紹介します。
徳川家康と囲碁の出会い
囲碁自体は平安時代の日本に伝わっています。平安貴族たちの中で大流行した囲碁は、室町〜戦国時代でもなかなかのブームだったようです。
中国では古来より王や貴族の嗜みとして、「琴棋書画」がありまして、それは音楽(琴)、囲碁(棋)、書道(書)、絵画(画)の四つ。みんな幼少の砌(みぎり)から囲碁はやっていたのでしょうね。
国家経営シミュレーションゲームな要素が強い囲碁は、戦国時代の天下を狙う武将たちにも大人気だったに違いありません。
さて、当の徳川家康さんはいつ頃から囲碁を打てるようになっていたのでしょうか。
家康さんの手紙に「我れ中年の頃まで囲碁を一向に存ぜず」とあるそうです。
中年まで知らなかったなんて…小さい頃今川家で人質として育てられていた時に習わなかったのかなあって思います。今川家は京都を意識していたお家柄だったみたいなので、習っていてもおかしくないんだけどなあ。手紙の上では本人が謙遜していたのか(その場合はお相手が超囲碁が強い達人だったり、とか)色々もうそうしてしまいます。
家康さんの囲碁の師匠は「本因坊算砂」さんと、そのお弟子さんの「九八郎信昌(奥平信昌)」さんなのでわないかと言われています。京都から駿河城に来た時に、連日のように囲碁を教えてくれていたみたいです。いいなあ。
本因坊算砂さんとは五子局で教わっていたそうです。結構強いのかも!?。
本因坊算砂さんは、信長、秀吉、家康、と三人を教えていたすんごいお人です。本能寺の変の日も本能寺で囲碁打っていて不思議な「3コウ」ができたり。その時家康さんも囲碁打っていたなんて逸話もあります。すごいですねえ。
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囲碁は家康さんのコミュニケーションツールだった?
秀吉さんが天下統一する前、家康さんはていこうしていましたね。
膠着状態がつづいてしまって、ついにトップ会談みたいなった時に秀吉さんが家康さんのところに赴いて、囲碁を打ちながらお話しする、といったシーンが司馬遼太郎の「太閤記」にあります。
また、囲碁の会も開いていたみたいですね。徳川方についた浅野長政や黒田官兵衛も囲碁が好きだったそうです。しかも、囲碁が原因で石田三成ほか西軍についたみなさんと喧嘩したりして・・・意外と天下の分け目の戦いに囲碁という要因があったのかもしれません。
家康が囲碁のプロ制度を作った!!
天下統一を果たした家康さん。なんと、囲碁が強い「打碁衆」のひとたちを家元として指定して、扶持(お給料)をわたして召し抱えるという偉業を成し遂げます。そうです、囲碁がつよいということでお給料が出ます。
「本因坊家」「井上家」「安田家」「林家」の四つの家元が切磋琢磨して争い、年に一回の将軍の前で対決をするという「お城碁」が実施されます。
そのうちの一家が「碁所(ごどころ)」として囲碁の世界を統括するというシステム。碁所に不服な時は「争碁(あらそいご)」でチャレンジして奪取をねらいます。勝負の世界は厳しいですね!!
殿堂入りした徳川家康
幕末の混乱から廃れそうになった囲碁、日本棋院の設立から紆余曲折を経て戦後大ブームとなりました。市ヶ谷にある日本棋院の「殿堂資料館」が設立され、徳川家康さんはその功績をたたえられて2004年に殿堂入りしました。世界初の囲碁のプロ制度をつくったといわれる家康さんは、囲碁の文化を支えた人としても有名なのですね!!世界でもこのことがあって日本の文化として囲碁のことを「GO」と呼んでいるそうです。
殿堂資料館は機会があり取材させていただきまして、Youtubeにのっておりますです。
いかがでしたでしょうか。徳川家康さんって、統一とか鎖国とかで特に有名なのですけれども、「囲碁」という文化的なものにもしっかりと政策を行っていたと聞いてとても感じ入りました。読んでいただいてありがとうございました!!