はるか昔より、人類は自然が起こす不可思議な事象や、身の回りに起こる出来事を「妖怪」の仕業と伝えてきました。もれなく日本でも各地に伝わる幽霊話や怪談話がありますね。そして日本絵画の世界でもいろいろな妖怪変化の描写がされています。今回はけっこう妖怪の世界では有名(?)な「目目連(もくもくれん)」と「囲碁」のお話です。
鳥山石燕(とりやませきえん)画伯の妖怪絵画
ときは江戸時代。1712年に江戸でうまれた鳥山さんは、絵画の世界に入ってさまざまな絵を学び、歌舞伎役者の絵などで活躍しています。

そして壮年期の60歳を超えた頃に出版する「画図百鬼夜行」で有名になります。当時としてはかなりご年配のはず。すごいバイタリティーですね!!尊敬します。
「画図百鬼夜行」はいわば妖怪図鑑のような本で、その後の葛飾北斎や歌川豊国、などの巨匠が描く妖怪画に影響した鳥山石燕先生の代表作、といわれています。また、あの「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげる先生もかなり影響を受けています。
鳥山石燕さんは日本人の思い描く「妖怪」をかたち作ったひとなのですね!!
そして続いて出版されたのが「今昔百鬼捨遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」です。こちらも代表作に負けずに影響を与えた妖怪図鑑の1つ。
この妖怪シリーズの中に、今回の妖怪「目目連」が描かれているのです。
今昔百鬼拾遺に載っている「目目連」はこれだ!!
ズバリ百聞は一見に如かず、「目目連」をみてみましょう。
すごい「目」たちの現れようです。なにやら不気味ですね。

この目目連は、なんと昔の囲碁打ちの念が発現させたものなのです。
「えっ?こんなにたくさん囲碁をうつひとが各障子紙にあらわれたの?」と思うかもしれませんが違います。1人の囲碁打ちの念です。文章を読んでみましょう。
煙霞跡なくして
むかしたれか
栖し家のすみずみに
目を多くもちしは
碁打のすみし
跡ならんか
むかーしむかし、碁打ちの住んでいた家に、その碁打ちの念が籠り、碁盤に目が現れ、さらにそれが家全体に広がったのだというお話です。
絵の中に碁盤が出てきていないので、ちょっと見ただけでは囲碁と関係があるのかしっくりきませんが、鳥山石燕先生の解説でなるほど!と思います。
「目目連」は人の目の錯覚がうみだした!?
ところでこの「目目連」からは「バーゲン錯視」というキーワードが浮かんでくるのです。
これを御覧ください。

黒い線と線の間、まんなかに白い丸が見えませんか?見えるまでやってください。
実験でも「光る丸がみえた」「目のようなものかと思った」という報告が出ています。
バーゲン錯視という錯覚が、「目目連」を生み出す現象だったかも??
なんと水木しげる先生のお子さんにも「旅行中に障子の格子にたくさん目が見えた」という体験エピソードがあります。きっと「目目連に違いない」と水木さんはおっしゃっていますね。
江戸の洒落?「囲碁の碁盤の目」と「目目連」
実はこの「目目連」、鳥山石燕先生の創作なのではないかという論があります。
囲碁の人の念が碁盤から目となってそれが家中に広がった、とのことなんですけど、こちらを御覧ください。

碁盤が、バーゲン錯視の例図、そしてあの障子の格子にそっくりではないでしょうか?
そして、碁石が丸いことに加え、囲碁はオセロや将棋とは違って、
囲碁は丸い碁石をマス目の中ではなく、交点に置きます。
それだけではございません。こちらの碁盤の図をごらんください。

わかりやすいように練習用の小さな碁盤にしましたが、これが決着のついた、いわゆる「終局図」です。白と黒は陣地の広さを競うのですが、数えるのはこの囲った空間の「交点」の数、そして、単位は「目」。「め」と書いて「モク」と読みます。(図は白23目、黒32目が正解)
囲碁は交点を数え、単位は「目(もく)」と言います。
目目連=もくもくれん、と囲碁の目=もく、、、これはもしかしたら、囲碁が大ブームだった江戸時代に生きた鳥山石燕先生の洒落なのかもしれません。
鳥山石燕先生の妖怪は、迫真に迫る他の作家の妖怪絵と違ってちょっと奇妙で面白おかしく表現されている、と良く評価されています。ですので私的にはかなりその可能性が高いんじゃないか、と思っています。ワクワク!!
でもまあ、いずれにせよ、妖怪を本当にいるのかどうか、なんてことを論じるのはちょいとばかし野暮になっちゃいますですので、ここは「目目連」と「囲碁」の面白いつながりを感じていただければ幸いです。
もし興味が湧いてきたら鳥山先生と水木先生の書籍を手に取ってみてください。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!!
